いわゆるバブル経済が終わりに近づく1987年に大阪北浜に本店を置く証券会社に入社して場立ちから社会人をスタートしました。当時、場立ちは証券業務行っていく上での修行の場所でもありました。会社での上下関係や人付き合い(お酒)なんかも厳しく教えられます。私もその修行をのりこえ3年後には会社の資金を任せられるディーラーになりました。勝負事が好きだった私には天職だと思えるぐらい相場に没頭していきました。大阪証券取引所で始まったばかりのオプション取引を独学で勉強して2年目には一億を超える利益を出せるようになり優良社員表彰まで頂けるようになりました。当時のディーラーはどんなに稼いでもボーナスに5万円ほど上乗せされるぐらいのもでしたが平成9年ぐらいから証券会社の間で優秀なディーラーの奪い合いが始まるとディーラーのボーナスもインセンティブ制に移行して一度のボーナスが億を超える者も現れました。私はそこまではいきませんがそれなりの収入を得ることができました。そんな時代が10年近く続きましたが平成19年あたりから雲行きがあやしくなってまいりました。その原因は超高速取引時代の到来です。日本の取引所は欧米の取引所にくらべて取引処理速度がかなり遅かったため世界の投資家がそっぽを向いていました東証や大証は世界のお金を呼び込む為に多額のお金をかけ超高速取引に対応したのです。それによってコンピューターが自動的に売買を繰り返すアルゴリズム取引が市場を席巻してきます。取引板をみて売買をする私達ディーラーは苦しめられるようになって稼げなくなっていきました。そして証券会社の中にはディーラー部門から撤退するところが相次ぎます。私の会社もディーラー部門縮小となっていきます。仲間たちが他の部署に配置転換されていきますサラリーマンですから当たり前の話です。私は過去の実績もあってかなんとかディーラーをやっていましたが平成24年夏ついに営業部門に行くことになりました。もちろん営業もやりがいのある立派な仕事ですが私は長年築きあげたディーラーの経験を生かしたいと思い、退職して個人投資家で生きていこうと決意しました。平成24年10月から個人投資家として取引を開始しています。とはいっても三人の子供達は上がまだ中学生とこれからまだまだお金が必要になるのでディーラー時代に蓄えたお金には手をつけれないので最初の投資資金は株、225先物、FX合わせて350万からスタートして投資資金をまずは1000万にする目標を立ててやっています。それまでは生活費は払えません一日でも早く個人投資家で生活費を妻に手渡せるようにがんばっていきます。ちなみに350万で始めた投資は現在500万を超えています。これから日々の取引をアップしていきたいと思ってますのでよろしく見守っていただければ幸いです。
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